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音楽環境・教育システムと演奏表現

『演奏表現学会年報第7号(2004)』2005年10月1日発行に掲載された文章を一部修正し、転載しています。執筆当時のデータ等が含まれており、現在と異なる部分があります。

 
    三谷 温

 

 文化庁長官より「文化交流使」に任命され平成16年2月中旬から5月中旬まで、中欧のクロアチア共和国・ザグレブに約三ヶ月滞在しクロアチア国内各都市、およびザルツブルク(オーストリア)、モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ)で活動した。演奏表現学会で予てより度々話題になっている欧州と我が国の文化的背景の違い、音楽教育の問題等について、活動を通じて感じたことを中心に、活動報告をも兼ねて述べさせていただく。

 文化交流使派遣、これは諸外国における日本文化への理解及び諸外国の芸術家・文化人等との連携強化を主たる目的とした文化庁の新規事業である。初年度は12名が長官より任命された。脚本家の小山内美江子氏はカンボジア、小説家の平野啓一郎氏はフランスへというように派遣先も様々であった。
 私の滞在したクロアチア共和国はアドリア海をはさんだイタリアの対岸に位置し、その長い海岸線にはドゥブロヴニクをはじめユネスコ世界遺産に指定された魅力的な都市が点在し、特に夏のバカンスシーズンには世界中から多くの人々が訪れる。ドゥブロヴニク音楽祭、フヴァール講習会をはじめが多くの音楽イヴェントも開催されている。所縁のある音楽家としては指揮者のロブロ フォン マタチッチ、ピアニストのイヴォ ポゴレリチ、長い間ザグレブ音楽院教授をつとめザグレブ室内合奏団を組織したチェリストのアントニオ ヤニグロ、またザグレブフィルハーモニー管弦楽団の音楽監督を務めた大野和士氏等を挙げることができる。
 在留邦人は大使館関係者を含めても6〜70名程度とまだまだ他の欧州諸国とくらべ、我が国にとって馴染みが薄い国かもしれない。1991年の独立後に起きたユーゴ紛争は1998年にようやく収束したが、未だ国境沿いの街の家々には多くの弾痕が残り、破壊された建物の残骸が民族紛争の激しさをもの語り胸が痛んだ。
 現地においての活動は、これまでに日本政府がオーケストラ、歌劇場等に楽器、音響・照明設備を寄贈するほか様々な援助を行って来たことも背景にあり、大変好意的に迎えられ順調に運んだ。活動内容を要約すると、①邦人および現地作曲家作品(新作初演あり)紹介を含む独奏、室内楽、協奏曲の22回の演奏会、②ザグレブ音楽大学をはじめ5つの音楽教育機関における延べ12日間の実技指導=マスタークラス(公開レッスン、セミナー、講義含む)・情報交換、③行政文化担当者等との意見交換、④現地の様々な世代の演奏、および音楽会場の視察等、⑤その他TV等出演しての広報活動、以上である。「文化交流使」の文化庁による英訳がSpecial Adviser of Culture Exchange—Japanese governmentとなっていたことによるのかもしれないが、教育者、政府・議会の方々をはじめ多くの文化行政関係者と会談する機会が非常に多かったことは予想外であった。けれども結果的にはこうした活動は、社会全体で音楽文化がどのように育まれ受け入れられているのかを、また行政の文化に対する姿勢・取り組みを理解する上でおおいに役立った。
 演奏家、教育者とも若手からベテランまで層が厚く、音楽芸術教育が充実し、音楽芸術を理解し愛する多くの人々がいて、音楽芸術文化が社会に根づいているのである。芸術文化に関して一つの成熟した姿があり、この分野において今後我が国が目指すべき良い指標の一つであることはたしかだと感じた。
 
 クロアチアの音楽教育は主として旧社会主義国(旧ソ連)のシステムを引き継いだ形、公的な機関で行われている。音楽を学びたい子供達は普通小学校の他に音楽小学校へ通う(普通小学校にも我が国と同様に教科としての「音楽」存在する)。音楽小学校での6年間の教育は大変充実している。低学年の生徒は30分の実技レッスンが週2回、ソルフェージュ、理論など音楽の基礎的な授業が週2回、計4回のレッスン・授業を受講し、高学年になるとレッスン・授業時間が45分になり、科目数もアンサンブルや理論など加わる。希望するものはさらに4年間、各地方主要都市にある音楽高校へ進学し和声、対位法、音楽史等の専門的な教育を受けることが出来る。そして専門家になることを決心した学生はザグレブアカデミー(音楽大学)へ進学する。地方にもこのザグレブアカデミーの当初分校で、後に独立した小さな高等教育機関は若干存在するが、基本的な流れは地元の音楽小学校から地域の主要都市にある音楽高校、そして首都ザグレブにある音楽大学へということになる。卒業後は留学する学生を除く殆どの学生が、全国にある音楽学校の教師、演奏家など、音楽専門分野での仕事に就く。
 音楽を習いはじめる年齢は7〜8歳が標準である。少し遅いように思うが幼年期は家庭でのびのびと育てることが大切であると考える親が多いことが背景にある。この国にはプライヴェートレッスンは存在しないが、優秀な生徒を数多く輩出しているヴァイオリンの教師は例外的に音楽小学校入学前の4〜6歳の生徒にもレッスンをしていた。一方音楽をはじめるのが遅い子供もいる。そうした子供も入学したときが1年生となるので、時には様々な年齢の生徒が混在するクラスも見られた。こうした子供達はたいていの場合飛び級制度を利用しいずれ本来の学年に追い付いていく。
 視察していて驚いたことは、音楽小学校低学年の段階、2年次の学年末の授業で(前述したように、音楽小学校の授業は週2回あるから、この時点で学習開始してからの授業回数は100回を超えている)、彼等は楽典・聴音等に関してすでに平均的な日本の音楽大学入試問題を解ける程度の力を持っていたことだ。音楽大学に音楽の基礎的知識・能力を十分に身につけなくても入学できてしまう昨今の我が国の現状とのあまりに大きな差に愕然とする。また、低学年の子供達の授業を経験豊かな教師が行なっていることも特筆すべきだろう。クロアチアにおいては音楽教育に携わる教員は基本的に全て公務員であるため必然的に勤続年数も長くなるのだ。ベテランの教員は年齢差、能力差のある生徒達を巧みに導き、決められた指導内容の他に音楽の歴史の話等を挿入しながら集中力のある授業を行なっていた。
 こうした視察の他、前述した様に私は音楽大学、音楽高校でマスタークラスを数日間行なった。総じて学生達の質は高く、特に音楽家としての基本的能力・知識が備わっていること、レパートリーの広さ、表現力の豊かさに感心した。1曲だけの演奏、それも技術的な面だけに限定してみれば我が国の音大生のレヴェルは決して低くはない。しかし、例えば音楽高校の「平均的な」生徒が、演奏そのものは時折若干の不器用さを感じることがあったとしても、和声、形式、様式感等理解した上で、多くの曲を暗譜で演奏できるということは、音楽小学校からの教育環境を考えれば当然のことかもしれないが、やはり我が国の現状との差を痛感する。
 同国では、音楽小学校の入学者数に対し、音楽大学の卒業者数は約100分の1になる。ピラミッド型の理想的な専門家教育システムである。社会主義時代の当初の目的は国家を代表する優秀な人材育成であったことはたしかだろう。しかし今回3ヶ月間滞在し様々な角度から音楽文化に接することで、こうした教育システムは実は1%の専門家を育てるための専門家教育という側面だけではなく、むしろ99%の音楽文化を理解し愛し支える人々を育くんでいるのではないかという思いを強くした。
 こうした充実した音楽芸術環境を前にすると、我が国の現状について、我々はつい、なかば諦めに近い気持ちで、「そこが伝統・文化の違いであるから仕方がない」と一言で片付けてしまいがちだ。しかし良く考えてみると、そもそも伝統・文化は人から人へ受け継がれて行くものであるから、その根幹を成している教育システム、芸術的環境といったものについて議論を深めることこそが重要であり、そして各人が一歩一歩新たな伝統を築く努力重ねることが肝要なのだ。

 我が国における西洋音楽は、明治以降「音楽取調掛」にはじまる先達たちの様々な努力により「普及」し、国際コンクールで優秀な成績をおさめる日本人や海外で活躍する演奏家も増えた。また音楽文化振興のための様々な取り組みも行なわれている。
しかし周知のように様々な問題も抱えている。例えば音楽大学を卒業後しても「専門職」に携れる人はごく僅かである。その上に「専門職」だけで生計をたてていくことは易しくない。音楽家・芸術家の活躍の場、仕事の場が十分にはない。また、全国津々浦々に整備された3,000を超える文化ホールの多くは、芸術を愛する人々で満たされることが前提で建設されたはずだが十分に活用されているとは言い難い状況である。政府が文化立国を「宣言」したことは歓迎するが、現状を直視し、問題解決へ向けてより有効な策を講ずる必要がある。
学校音楽教育においても週5日制導入に伴い「音楽」の時間数が減少、十分な時間は確保されていない。また専門教育に関しても世界の最先端レヴェルにあるとは言えない状況だ。オリビエ・メシアン・コンクールに審査員として参加した園田先生は日本演奏連盟の機関誌の中で「日本はいつの時点からか、全く海外の音楽教育から取り残されてしまったことを痛感させられる。日本の音楽界を将来に向けてどう改善してゆかなければならないかは、これからの大きな課題であろう」との御意見を述べられていた。
 優秀な人材の輩出といった観点からだけ考えれば、近年韓国、中国などでも行われている徹底した英才教育も有用であろう。しかしいくら優秀な人材を育ててもその活躍の場がなければ意味がない。社会の音楽芸術受容の問題と切り離して考えることはもはや出来ない。
 現在、音楽大学は「第三者評価」を前に社会へ、その存在価値のアカウンタビリティー(説明責任)が問われている。公・私立とも国からの大きな助成を受けていること等を考えれば当然のことだが、音楽大学が本来の高等教育機関としての役割を果すためには、入学以前の教育環境の見直しが不可欠である。前述した受容の問題にも絡めて、我が国に今欠けている音楽芸術環境、これから必要な音楽芸術教育機関は何であるか考えるべきである。
 音楽は万国共通語と言われている。ただ聴くだけで気分は高揚し、そして癒される場合もあるだろう。しかし意味がわからなければ理解し楽しむことが出来ない音楽も沢山ある。古今東西の優れた文学作品を読むためには言葉の意味や文法を理解する必要があるのと同様に、音楽芸術を理解するためにはそれ相応の教育は必要だ。我が国にはそれが欠けている。子供の情操教育、学校音楽教育、あるいは技術中心の感が否めない専門教育を、それぞれより踏み込んだ内容をもつ新たな音楽教育システム・環境へ転換をはかっていかなければなるまい。西洋においては「リベラル・アーツ」、「中世自由七科」等における主要学問の一科目であった「音楽」。ヨーロッパにおける音楽教育は、例えばそうした伝統も脈々と受け継がれているのだろう。音楽を大切な文化としてとらえ、後世に受け継いでゆくという姿勢が貫かれている。
 クロアチアの国境近くの街道沿いには、まだ髑髏(どくろ)のマークがついた「地雷/立ち入り禁止」の看板が立っている。もちろん演奏会場も楽器もまだまだ十分に整備されていない。そうした街でもしっかりした音楽芸術教育は行われているのである。ハード面が先行している我が国とは対照的だ。
 世界第二位の経済大国である我が国には素晴らしい楽器を備えた音楽ホールが数多く建設された。二十一世紀はその「ハード」を活かす「ソフト」創出の時代となるよう、本学会としても社会に対して提言を行なうなど積極的に行動していく責務があるように思う。社会の受容と演奏表現は密接に関連していること忘れてはならない。2004年7月19日(祝)
当時の演奏会の模様(動画)