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船越さやかのParis通信 第9回「ルカ・ドゥバルグとレナ・シェレシェフスカヤ その師弟関係」

パリ通信 第9回
「ルカ・ドゥバルグとレナ・シェレシェフスカヤ その師弟関係」
debargue 1Rena Shereshevskaya
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピアノを始めたのは11歳、まったくアカデミックな音楽教育を受けず、ピアノは別の勉強をしながらの〈趣味〉。20歳を過ぎてプロを志し、24歳でチャイコフスキー国際コンクールで4位に入賞……こんな驚愕の経歴でピアノ界の常識を覆したのが、今世界で話題のフランスの若手、ルカ(リュカ)・ドゥバルグだ。今年3月にはソニークラシカルからファーストアルバムをリリース、6月には初来日も果たした。
 ルカの演奏を初めて聴いたのは昨年の11月。折しもパリは同時テロの直後で、コンサート会場が標的になったことから、音楽業界の客足が落ち込んでいた時期であった。それにも関わらず、会場のサル・コルトーについて驚いたのは、当日券を求める人々の長蛇の列。ルカへの注目度が伺えた。

 コンサート終了後、人の引けたホールのステージで面白い場面に遭遇した。恩師シェレシェフスカヤ女史と反省会をする彼は、今日の出来が自分は不満足だと口にしながらピアノを弾き始め「ああ、こうなっちゃいそうだったよ……」とそのままラヴェルの〈水の精〉のクライマックスからジャズの即興演奏に見事に流れ込んだのである。それを聴きながら彼をなだめるシェレシェフスカヤ教授……。
 その後運よく、私はルカとシェレシェフスカヤ教授、それぞれにインタヴューできることになった(「ムジカノーヴァ」2016年1~2月号、「音楽の友」2016年4月号に掲載されているので、ぜひ合わせてご覧いただきたい)。
 ルカの容貌はどこかディレッタント風、しかし目元に飼いならされていない狼のような雰囲気も漂わせている。
 思春期の頃のルカは、獣のようにピアノに飛びかかって好き放題。発表会では興奮してトランス状態で、ほとんどよだれを垂らしながら演奏する彼に、聴衆の父兄たちはおびえたという。ともかく規格外の子供だったのだろう。学業でも優秀だった彼は、「学校の勉強は自分の思考を希薄にはしても整理はしてくれなかった。文学と音楽だけが自分を形成してくれた」と語る。そしてシェレシェフスカヤ教授との出会いは彼の人生において〈決定的〉であり、「私の無秩序な面を鎮め、考えを整頓してくれる人が必要で、それがレナ(シェレシェフスカヤ教授)だった」と。
 一方シェレシェフスカヤ教授は、21歳のルカの演奏を初めて聴き――ショパンの練習曲作品25‐11だったそうだ――「信じられないほどの芸術性に溢れているけれど、楽譜の内容とは程遠く、半分がミスタッチ」と評し、「このころのルカは実際〈アマチュア〉だった」と回想している。普通なら「あなた別の勉強をしてきたのだし、ピアノは趣味で続ければ?」という展開になるところだが、ルカの放つ〈何か〉に注意を喚起された彼女は、彼を門下に受け入れる。
 慧眼な彼女は、ルカの一風変わった技術面――彼はスポーツ的な〈身体能力〉には恵まれており、指を非常に速く動かすことは難なくできた――にはノータッチ。シェレシェフスカヤ女史の聡明さは、彼独特の〈音響世界〉の特徴を探り――彼女はその秘密が、ルカの好むジャズにあることも見抜いた――それを利用し、一方で楽曲の構成を理解させ尊重させること、この二面から導いたことにある。また一時、彼が友達のピアノ学生に「スケールやアルペジオをしっかり練習して、手指を鍛えなければいけない」と助言され、それを鵜呑みして指の練習に励んだ挙句に、演奏がエクササイズのように滅茶苦茶になってしまったというエピソードを挙げ、その原因は、彼が「音楽表現の手段である〈テクニック〉とメカニックな〈速く動く指〉を混同したから」とも話す。
 ある武術家の方が「〈教育〉すると人間は弱くなる。強い人はもともと持っているものを生かせるようにすればいいだけ」と言っている記事を読んだことがある。
 話が両極端になってはならない。教育は必要だ。だが、ルカのようにある意味〈正統派〉のルートを辿っていないながらも内面に音楽をたぎらせている場合、もしもオーソドックスに技術面のたたき直しから入っていたら、今のルカはなかったかも……と思わずにはいられない。
 そのルカの演奏の特徴は、現代のどのピアニストのタイプにも当てはまらないこと。
 構成も曲の細部もよく分析され、コントロール抜群で音色も洗練され美しく、一方で力強さもあり、どこをとっても完璧……という今の気鋭のピアニストたちの演奏は本当に素晴らしい。それですっかり要求の高くなってしまった耳を驚かすほど、異質なインパクトを与えるのがルカの演奏なのである。いうなれば、あらゆる感情を語る人々の声――いつもすらすらと綺麗で滑らかではなく、言いよどんだりささやいたり激昂したりするゆえに、一層力をもって訴えかけてくる声――のように。
 11月の彼のサル・コルトーでのリサイタルは、しなやかで官能的なスカルラッティから始まった。そして、楽しみにしていたのがチャイコフスキーコンクール以来評判のラヴェル「ガスパールの夜」。もちろん悪魔の嘲笑が聴こえてくるような〈スカルボ〉も圧倒的だったが、驚愕したのは〈絞首台〉だった。
 ルカ自身はこの曲のイメージを「死を宣告された男の極限の孤独」と言っていたが、私が聴いたものは、潜水艦に閉じ込められだんだんと息が詰まっていくように、じっとりと冷や汗が滲み出てくるようなものであった。オスティナートのかすかなシ♭音がどこからともなく現れて神経を逆なで、終わりのない悪夢のように、ほとんど精神的な拷問のように続くさま……。彼の壮大な音響スクリーンは、美しい映像を描き出すだけでなく、これほど恐ろしい感覚に聴衆を引きずりこむこともできるのだ。こんな世界をピアノで表現できるルカは、やはり〈鬼才〉である。
 この日のライヴ録音がソニーから発売された彼のファーストアルバム「Lucas Debargue http://www.sonymusic.co.jp/artist/lucasdebargue/ 」ということだが、彼から渦巻いて発散されるオーラが録音から伝わるのかどうか……ぜひライヴで聴いていただきたいピアニストだ。

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船越清佳 Sayaka Funakoshi ピアニスト、音楽ライター

Sayaka 2012c (2)

〜プロフィール〜 船越さやか

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