ザルツブルク=モーツァルト国際室内楽コンクールin Tokyo 2023 総評

《総評》

【ピアノ部門】

■緊張した中で、モーツァルトのソナタの全楽章を、自ら考えた通りの演奏をするのは極めて困難なことです。そのような状況の中でも、全ての演奏者は健闘し、充実した多様なモーツァルトの表現を繰り広げていました。

モーツァルト自身の演奏に関する当時の様々な記録を辿ると、その演奏を目の当たりにした聴き手の熱狂、魂が酔いしれる様子が窺えます。「活き活きとし、しかし同時にしなやかさをもつ。革新的で斬新ではあるが、同時に自然である」といった、一見、相反するかのような表現が同居しているのがモーツァルト自身の演奏・作品だという見解を支持する人は多いでしょう。このような表現をピアノ演奏で実現することは一朝一夕に叶うものではありません。

こうした「理想」に近づくためには、コンサート(コンクール)に向けて研鑽し、舞台経験を重ねることは不可欠です。様々な(和声・形式・様式)分析を通じて、先ず作品を理論的に捉えた上で、デリケートな視点を大切に1音1音構築しつつ、人生、自然、宇宙、神といった壮大なマクロ的観点からも作品を考えていくことが肝要なのだと思います。

 

■大多数の参加者の皆さんは技術面では非常に良いものを持っています。ただ、今回のような古典の王道の作品を演奏するためには、音楽のバックグラウンドをもっと豊かにしてほしいと強く感じました。モーツァルトをピアノで弾くなら「フィガロの結婚」「ドンジョヴァンニ」「魔笛」この3つのオペラは少なくとも聴いておくべきです(弦楽器、管楽器の参加者は普段接する機会が多いためかこの点ではピアノ参加者に比べ一日の長があるよう感じました)。

特に若い演奏者に感じたことですが、のめり込みすぎて(若い時の長所でもあり短所でもありますが)、強さと弱さの中間部分の表現が疎かにされているようです。「中庸」は大切です。

作曲家のフォルムや演奏語法は演奏に際して必須のものです。今の時代は簡単にたくさんのお手本が手に入ります。その中から自分に合った良いものを選び出す。その作業を繰り替えししているうちに、演奏する作曲家のフォルムや語法が少しずつ分かって来ます。

 

【室内楽部門】

■全ての参加者の演奏は、意欲的で大変充実した内容でした。緊張感のある中で、自然な音楽を奏でることは容易くないですが、全力で表現をしている姿から、清々しさと凛々しさを感じました。時に、その強い表現意欲が、大きなコンサートホールではなく今回はサロンでの演奏ということへの留意を希薄にさせてしまったグループも散見されましたが、今後、経験を重ねて聴き手との距離感をしっかりと掴めるようになると、そうした問題は自然に解決するでしょう。アンサンブルは、同質性のみが大切なのではなく、異なる個性が集まって創り上げるところが最大の魅力であり、エキサイティングな営みであるとの考えを忘れないでください。各グループの個々の奏者の演奏能力は優れていましたが、アンサンブルとしては、まだまだ「大いなる可能性を秘めている段階」だと感じました。複数回参加しているグループの成長を聴くことができたのは大きな喜びでした。